沿革
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昭和22年 | 2月21日(株)岡本鋳造より独立し、社名を(株)鍋屋鋳造所と称し会社設立。軽合金、銅合金鋳物を製造 |
25年 | 丸胴型バイスの製造開始 |
32年 | 丸胴型バイス日本工業規格表示工場となる |
34年 | 認定事業内職業訓練所(鋳造、機械科)開設 |
35年 | 防衛庁工具銘柄指定工場となる |
37年 | 現会長取締役社長に就任 |
39年 | バイス生産量1,000,000台達成、機械加工専門工場新設 |
43年 | ZD運動全社的に開始 |
技能者養成に関し労働大臣表彰を受ける | |
44年 | 世界最大の小売商SEARS.ROEBUCK_AND_CO.へバイス納入開始 |
45年 | 成品工場ビル(鉄筋4階建)完成 |
大物専門加工工場として(株)ナベヤ精機分離独立 | |
全自動高速高圧造型プラント(DISAMATIC)完成 | |
48年 | 社名(株)ナベヤに改称、本社ビル新築、現会長第15代岡本太右衛門襲名 本店所在地羽島郡岐南町三宅に移転登記 |
総合検査室の完成(アムスラー万能試験機、ロックウェル硬度計、ブリネル硬度計等) | |
49年 | 4.5ton/Hrキューポラ溶解プラント完成 |
コンピュータ導入 | |
50年 | ラック方式に依る立体式出荷センター完成 |
衛生管理優良賞岐阜労働基準局長表彰 | |
52年 | バイスの生産量4,000,000台達成、VA運動全社的に展開 |
NC付ドリリングセンター2台導入 | |
54年 | マシニングセンター導入 |
東京営業所開設(港区田町) | |
有機自硬性造型プラント完成 | |
55年 | コンピュータシステムオンライン化開始 |
6ton低周波誘導溝形炉導入、シャルピー衝撃試験機導入、九州在庫センター開設 | |
バイス生産量5,200,000台達成 | |
56年 | 滴注式全自動熱処理プラント導入 |
中物自動熱処理プラント導入 | |
57年 | O ・N-TQC運動全社的に展開、大型クレーンブラスト(7.5ton)導入 |
YHPレーザー精密測定システム導入 | |
シカゴ工作機械見本市 | |
58年 | 岐南町に全自動塗装ライン完成 |
独ケルンハードウエアーショー出品 | |
東京営業所ビル新築完成(浜松町)、関東以北の営業活動活発化、CAD導入 | |
59年 | 本社塗装工場全自動塗装ライン完成 |
精密マシンバイスFMSライン設置 | |
羽島工場完成 | |
テーブル形横中ぐり盤を設置 | |
ダブルコラム形治具ボーラを設置、三次元測定システムを設置、精密摺り合せ工場完成 | |
60年 | ブロックビルドシステム用治具センターを開設 |
小物部品用FMSライン導入 | |
大阪営業所開設並びに社屋新築(東大阪市) | |
63年 | 各務原工場完成 |
カールツアイスNC付三次元測定システム設置 | |
平成元年 | AMF全自動造型ライン完成 |
仙台営業所開設並びに社屋新築、コンピュータシステム更新(IBM ・AS/400) | |
2年 | BMD全自動連続式ショットブラスト完成 |
業界VAN加盟 | |
3年 | 北越営業所開設(燕市) |
VI導入 | |
4年 | 糸貫工場完成 |
6年 | 北関東出張所を開設(高崎市) |
平和の梵鐘制作(終戦50回忌全戦争犠牲者追悼法要) | |
7年 | TPM21を全社的運動として展開 |
岡本太右衛門代表取締役会長就任、岡本知彦代表取締役社長就任 | |
8年 | 現会長 日本鋳物工業会会長 就任 |
インターネットホームページ開設 | |
北関東出張所を営業所とする | |
9年 | 高周波電気誘導炉(1ton 2基)を導入 |
13年 | 平成13年度(社)中小企業研究センター賞(現「グッドカンパニー大賞」)・地区表彰を受賞 |
14年 | 上海販売合併会社設立 |
15年 | アルミコンボジット材生産設備導入 |
17年 | 糸貫工場リニューアル |
NOVAシステム 溶湯熱分析システム導入 | |
18年 | 制振事業部(横浜)発足 |
19年 | 糸貫工場増設 |
ISO9001認証取得 | |
21年 | ISO14001認証取得 |